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パリに帰り着きました。 [仏蘭西]

暑いです。
たまりません・・・。
この蒸し風呂並の暑さの中、クーラーどころか扇風機もない生活は相当厳しいです。
せめて安い扇風機を買おうかな・・・。
ニュースでもあまりの暑さにセール真っ只中のショップ、カフェのテラスにも人が寄り付かず閑古鳥が鳴いている、と言っていました。
やはり今年の暑さは異常なのね。

スイスでひたすら山下り(登りではないのでまだ楽ですが)をして来た身体には、今日一日は休息日と決めてずっと家に居たのだけれど、居ても立っても居られないくらい、暑い!
外に出たところで暑さが和らぐわけでもないし。
フランスでは圧倒的にエアコンが少なく、如何にも冷房がガンガン効いていそうな近代的なショッピングモールの中さえも、モワ~ッと蒸し暑かったりします。
自然体でエコ先進国と言えばそうなのでしょうが、普段はエアコン嫌いの私でさえ息苦しいほどの蒸し暑さに、パリへ帰る電車内のクーラーのつまみを最大に上げてしまいました。
「効いてるのか、このエアコン?」という程度の働きしかしないのに、向かいの寝台の女性が「寒いわ」と言うのでびっくり。
エアコンの風自体に弱いのでしょうね。

そうそう、最大の難所、ミラノからパリへの9時間半の夜行寝台列車の旅。
パニック も起こさず、無事に乗り切りました。
自分でもこれが一番の不安の種で、旅行中ずっと緊張していたらしく、疲れや暑さも相まってずっと体調が悪いほどだったのです。
特に、アルプス辺りでは険しい山々が目白押し。
ということは、それだけトンネルが多いのです。
そして往路フランス国境近くで突入したトンネルの長かったこと・・・。
40分間はトンネル内に居たのではないでしょうか。
真っ暗闇の中で途中電車が止まり、「30分ほど電車が遅れています」なんてアナウンスを不明瞭な異国語で聞いてごらんなさい。
全身の毛穴がじぃんと冷たくなりました。
隣のオジさんにひたすら関係のない話を振ったり、可愛い姪っ子の顔(→)を思い出したり、新聞の付録の数独に無理やり没頭したりして、なんとか乗り切りましたよ!

その後、精神科医数人と雑談する機会があったのですが、解決法は、
「逃げずに、少しずつ慣らすこと」だそうです・・・。(泣)
もっと劇的に効果のあるコツとか、特効薬の処方とか、期待していたのにぃ。
一般人Rのアドバイスが一番効きました。
「まず、確実に呼吸をすること。何も命に別状のあることはないと、自分に言い聞かせること。エレベーターや電車が止まっても、呼吸できる空気は無限にある。」
これって、ダイビングの時と同じなんだよね。
電車内は水中などより、よほど命の危険からは遠いので、安心と言えば安心なのですが。

それにしても、窓さえ開いていてくれればかなり楽なのに。
最近の近代的な特急は、みな窓が嵌め殺しだから怖いのです。
しかし、この旅行で、普通の電車から、ミラノの薄暗い地下鉄、わけのわからない登山列車や地下ケーブルカーのようなものまで8種類ほどに乗ったので、気がついたら相当に克服ができていたらしいです。

またひとつ大人になってしまったなぁ、私。


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法皇の新しいお城にてワインを。 [仏蘭西]

シャトー・ヌフ・デュ・パップ「法皇の新しいお城」という名の村が、フランスの高級ワインの産地として知られています。
高級と言っても、多くのものは現地で買えばごく手頃なお値段なのですが。
これが海外に輸出されると途端に1本6,000円~20,000円という法外なことになって来るのですね。

プロヴァンスの物価は概して安く、観光案内所のある広場のテラスで食べたランチは、12.50ユーロでサラダ、メイン、デザート、コーヒー、さらに1/4ボトルのワインが付いて来るのです!
しかもそのハウスワインの美味なこと。
この村ではカフェやレストランはワイナリー経営の物が多いようで、ハウスワインは当然そのワイナリーのものになります。
私はここ BISTROT DE LA NERTHE で飲んだ CHATEAU LA NERTHE が非常に気に入りました。
渋い赤ワインはあまり得意でないのですが、これはスッキリしているのにびっくりするほど香りが豊かで、・・・旨いんです。

しかし・・・
「ワイナリーでソムリエにワインの薀蓄を聞きながら楽しく試飲して、いい気分で美味いボトルを購入する」というRの目的は、最初の一軒目で虚しく打ち砕かれました。
まあ、当たりが悪かったのですね。
「僕らワインのこと、詳しく知らないのですが・・・」と腰が低めのアプローチも悪かったのかもしれません。
カウンターに肩肘付きの五十絡みの女性から、商売への情熱のなさはそうでなくても滲み出るものがありましたけれど。
おそらく数世代に渡ってワイナリーが経営して来たこの店の評判にどっかりとあぐらをかいて、またはここへ嫁いだ嫁か親戚のオバサンなのか、ワインなどより店外での噂話の方が大事な様子の彼女からは、何も買いたいとは思えません。
出されたワインも2種類のみ、決して美味しいとは言えず、鼻持ちならない態度にRがとても気を悪くしたようでした。
まだまだ私たち、スノッブなババアには鼻であしらわれるヒヨっ子なのよね。
私はスレているのか、鈍いのか、「観光客相手なんてこんなもんでしょ」という気持ちでしたが、その後のRの落ち込みようは、少々不憫でした。

ですから、その後に入ったカーヴのお兄さんの誠実で、純粋にワインに対する情熱を感じられる対応に、気をよくしたRが迷わず2本お買い上げしたのは無理もないことでしょう。(3本もカナダに持って帰れないのに・・・)
ここは城へ上る坂の途中にある、Cave du Veger des Papes というお店。
こちらも素敵な雰囲気のレストランが併設されています。
最初の店がワイナリー直営による、その畑からできたワインのみを置いているのに比べ、ここは独自の舌に頼って近郊のワインを幅広く仕入れ販売しているため、目的のワイナリーが特になく、色々なものを試してみたい人にはお勧めです。
7種類ほど味見をさせてもらいましたが、やっぱり一番のお気に入りは NERTHE だな。
このお店では、インターネットによる直接注文により、世界各国に発送も請け負っているのだとか。
たまに特別な機会などあれば、この兄さんに適当に見繕ってもらってワインをお取り寄せ購入、というのも有りかもしれません。

Cave du Veger des Papes
http://www.caveduverger.com/

さて、明日からミラノ経由、スイス入りです。
友達の結婚式に出席するため。
しかしTGV7時間という長丁場!
何ッ、帰りは夜行だって!?
・・・大丈夫なんでしょうか。
皆さん、私が死んだらブログで報告はできませんが、察して悼んでください。
ちなみに、また一等席 です。
セレブでしか生きて行けない身体になった私。
一週間ほど留守にします!


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リュベロン地方=南仏プロヴァンスの12ヶ月 [仏蘭西]

人々が心に抱く絵に描いたようなプロヴァンスといえば、とりあえずこの地方を廻っておけば間違いがない、という理想郷。
コート・ダジュールでよく見られる鷲の巣村の山間バージョンが広大な畑作農地の中に点在しています。
これらの田舎を治めるそれぞれの領主が、容易に敵を近づけないような丘陵地に目をつけ、迷路のような旧市街を張り巡らせて、周囲の豊かな収穫を農民から分捕って暮らしていたのでしょう。

ゴルド
素晴らしいです。
このためだけにも遠くプロヴァンスを訪れる価値ありです。
天空の城ラピュタですね。
今まで、宮崎監督は廃墟フリークの聖地、長崎県の 軍艦島 をモデルにしているものと思い込んでいましたが、ゴルドの方が現実的にしっくり来るように思われます。
でも、ラピュタには先進文明の廃頽の悲しさと自然の生命力が支配する廃墟の美しさが描かれているため、軍艦島説もやはりおいそれとは捨てがたい。
ということで、私の中でラピュタ構想の原点は、ゴルド+軍艦島説に決定。
そうでしょ?宮崎監督。(根拠は一切ありません)


セナンク修道院
6月は富良野のラベンダーにはちょいと早かったのです。
ラベンダー盛りに微妙に間に合わずに北海道を後にした私としては、この修道院のラベンダー畑を見られたので満足です。
院内へは観光客の長蛇の列が続いていたため、断念いたしました。
山あいの絶景の中に灰一色の簡素で禁欲的に佇む修道院の様子はなかなか胸騒ぐものがありましたよ。

メネルブ
このメネルブ城内にはトリュフ専門店とワインカーヴが内部に併設してあります。
残念ながらこの日は試飲はできませんでしたが、ソムリエは観光客ズレしておらず、プロフェッショナルで感じのいい人だったため、ワインおたくのRはカナダ国内には1人2本までしか持ち込めないというのに、リュベロン地方のワインをつい購入。
明日は大好きなシャトー・ヌフ・デュ・パップの村にワイン目的で行くのだろう?


ラコスト
ここは、何とあのサド侯爵の村。
「サディズム」の語源となった18世紀より今日まで世界に名だたる変態侯爵の独特の思想が育まれたお屋敷があります。
折りしも陽光降り注ぐ美しい村々を車で走りぬけ、「こういうところに生まれ育った人々のメンタリティって、私とどんなふうに違うんだろうか」と、思わず口にした直後でしたのに。
サドの徹頭徹尾に悪徳栄えし強硬な嗜好は、青空の下ののどかな生活、遥かに眺める鷲の巣村ボニューの美しい遠景をもって形成されていたのですね・・・。
現在、サド侯爵のお屋敷は現在は見る影もない廃墟。

ボニュー村の夕暮れ

足下の家々や石畳の小道は綺麗に整備され、普通の人々が今日も素朴な暮らしを送っているのですが、村の頂上にあるかつての領主の家だけが、その末路を象徴するかのごとく荒廃のモニュメントのように佇んでいました。


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アレー!ル・ブルー!! [仏蘭西]

準決勝に勝った日の様子。バルコニーから通りをながめたところ。

フランス、負けてしまいましたね。
しかも、またあんなに消化不良の試合で。
皆のジダンが血迷ってあんな非紳士的なことをするなんて、図らずも敗因を招いてしまったような印象がありますよね。

準決勝の日に大家マダムが旅に出たのですが、不在だと言うのにその息子夫婦と娘夫婦+子供たち、昔の夫が居間に押しかけてきて皆で一緒にサッカー観戦と相成ったのでした。
そして、本日は娘さんのおうちで決勝観戦ということで、招待されたので行ってみましたよ。
一人より楽しかったのでよかったです、が、フランス語わかんねー。(泣)
リュクサンブール公園が大きなバルコニーから見渡せるモダンで閑静な豪華アパートでした!
パリ6区でこの生活とは、旦那さん、相当成功してるんだわ。
テレビもSONYの巨大プラズマなんですが、なぜ準決勝はわざわざ私のところへやってきたのでしょう?
娘さん、3人目を妊娠中で、今夜こそ出るかもって状態でしたし。

家に戻ったらキッチンはゴキちゃんの大合唱状態。
あっちのおうちの方がいいよ~(号泣)
ごく小さなチャバネたちなので、これだけ何匹も見せられると、はっきり言ってもうわりと平気かも・・・?
とりあえずバイゴンを撒布しまくっておきました。
明日には、ホウ酸ダンゴを買って来て巣ごと撲滅してやる・・・。

準決勝の日と違い、今日はえらく静かです。
木曜にはフランスで勝利に酔い過ぎたサポーターが2人亡くなったそうです。
ひとりは乗っていた地下鉄の屋根から落下、ひとりは車の窓から身を乗り出し過ぎて鉄柱に激突、だそうで。
これじゃ、彼らの魂も鎮まれないね。


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プロヴァンスに行ってみた [仏蘭西]

ニースでの残務処理中、土日は登場人物がみな市外に出てしまい、郵便局や電話会社も休みで仕事が進まないため、私たちもバカンスを取らせていただくことに。

3泊ほどで、プロヴァンスに行って見ました。
まずはTGVでアヴィニョンへ。
これが、ローヌ川にかかる「アヴィニョンの橋」。
途中で壊れています。
戦争や度重なるローヌの氾濫で破壊され、このような姿になってしまったのだとか。
それにしても、世界中でこんなにも有名な「♪アヴィニョンの橋で、踊ろよ踊ろよ・・・」というマヌケな唱歌の由来は何なのか?
「大抵こんな唄には裏に不吉な史実があるものだよ。踊る、というのもきっと伝染病で悶え苦しむとか、結局みんな死んだとか、そういうことの比喩に違いない。ロンドン橋の唄だってそうだろう。何か衝撃的な出来事が背景にないと、こんなに唄が有名になるはずないじゃないか。」
旧市街の迷路の一角、18世紀の建物を改装したその名も「ホテル中世」という宿のひんやりとした一室にて、突然不吉なことを言い出すR。
急に部屋の四隅に居た中世の魑魅魍魎が私の肩に降りて来ました。
ひぇぇぇ、やめて~!!
本当は怖いグリム童話かよっ!
後にネットにて調べてみたのですが、由来らしき話は殆ど出てこず、唯一見つけたのがこの記事です。

日本でも有名なアヴィニョンの橋とはローヌ川にかかるサン・ベネゼ橋(PONT ST-BENEZET)のことで、1117年に羊飼いのべネゼが神のお告げを聞き、村人からお布施を集めて一生を捧げて作ったものです。しかし、戦争や、冬から春にかけて襲う地中海地域特有の豪雨による洪水や、春から夏にかけてのアルプスや氷河の雪解け水の増水で壊されてしまい、4つのアーチを残して、川の中で途切れています。橋の中ほどに、彼をまつる小さな礼拝堂があります。「輪になって踊ろう」という歌ですが、踊ったのはローマ法王を迎えた地元の住民だったそうです。

なんだよ、本当にたいしたことなかったわ・・・。

しかし、プロヴァンスはなんて太陽がまぶしいの!
見渡す限りのワイン畑、たわわな実を付けるサクランボの木々、建売住宅のチラシを見比べながら新婚の奥様がだんな様に訴える、ああこれが憧れのプロヴァンス風建築・・・。

当初、フランス生活を始める南仏での基点について、とことん悩んでニースに決めたものでしたが、案外こんな素朴なフランスの片田舎を選んでいた方が、心穏やかに、さらに強制的にフランス語を使って過ごすことになっていて良かったのかもしれない、と過ぎたことを少々悔やんでみたり・・・。
いえ、やはり冬だったのがいけなかったのですわ。

明日は、翌日リュベロン地方を廻ってみた様子をご紹介いたします。

ところで、本日はワールドカップ決勝でフランス対イタリア戦なのですけれども。
20時からの試合が待ちきれず、15時くらいから皆さんもう騒いでおります。


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カファールだっ!!! [仏蘭西]

出ました。
なにがって、ゴキブリですよ。
ニースと違いアフリカ産でないのが何よりの救いではありますが、やはりここまで暑いと、出るか・・・。
南仏を旅し、カナダ、オランダと相当に散らかった家にお邪魔したこともありましたが、ここへきてついに、しかもパリで遭遇することになるとはね。

とは言え、こちとら日本の鋼鉄黒ゴキブリと歴々戦って(完敗)して来た身です。
あんな親指の爪くらいの小粒、平気だもん。
相変わらずギャアッと悲鳴を上げてしまいましたが、果敢にマダムの置いて行ったバイゴンで応戦!
キッチンの隅へ追い詰め、無事ホコリだらけの造花の森(推定樹齢8年)へ撃沈させました。
ごめんなさい、拾い出す勇気はありません。

このアトリエ、家中にマダムの絵画や彫刻作品が雑然と並べられ、とても素敵ではありますが、彼女の22年間の宇宙が錆色の年期とともにしっかりと部屋中に染み付いています。
手のつけられない宇宙には、もちろん台所もあるわけで。。。
美しいものにはもっぱら目がなく、造詣の深い彼女です。
見た目には優美に飾りつけられ、眼鏡を掛けずにみると片付いている状態なのですが、神経質な日本人としてはやはりこのお勝手は「汚い」と形容させていただきます。(号泣)
マダムが旅に出た直後に、ゴム手、洗剤、布巾、食器用スポンジ、タワシを購入。
ひとまず私が触りそうなところは手が届く範囲で磨いてみました。
これでとりあえずは人心地。

インターネットもつながったし♪と奥の小部屋でパソコンに向いパチパチやっていると。
突風が吹き荒れ、マダムが常時開けてあった窓が予想外の強さで突然全開に・・・!
と、立て掛けられた数十枚の絵やカンバス、木枠などが窓の扉に押されてバラバラと倒れ、その上に軽く乗せられた形で置いてあった大きな彼女の肖像画がこちらに向って落ちてくる・・・!

「絵は私にとって命なの。最新の注意を払ってね」

私は思わずカンバスの雪崩を食い止めるべく、窓際に突進していたのでした。
幸い、絵は落ちることなく救われましたが。

被害状況:ひょろっと伸びた観葉植物の葉っぱが損傷
       粘土細工の人が自力で立てなくなっている

どちらも、何気に周りの物に立て掛けると、目立たなくなりました。
特に、粘土の人は最初から不安定だったようで、隣の馬にもたれている形ではあったのです。
そのもたれ方の度合いがちょっと増したといいますか、馬の尻に顔を突っ込んでる形にはなりますが、これでよかったよかった・・・のでしょうか?
私のせいではないのですがねぇ。
むしろ体を張って宝物を守ろうとしたのだが。
どうしたものか・・・。

そして、その後のゴキブリ騒動でございました。

今日はもう、寝ます・・・。


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セーヌ川のほとりで [仏蘭西]

皆さん、お久しぶりです。
この足下の河水、何処のものだとお思いですか?
ええ、問いかけるまでもなく、セーヌですよ。
初めてこの河岸に立ったのは5年前でしたが、あれは真冬のことでした。
かなり雰囲気も違います。
思えばあれからNHKラジオ仏語講座を聴き始め、「こういうところに住んで、こんな外国語を流暢に操ったりするような人生を生きてみたいもんだ」と漠然と思ったことは確かでありますが、それでもこうしてパリに居を定め、セーヌ川のほとりにて片言とはいえ仏語で似顔絵描きと世間話を交わすような日が来るとは、何とも感慨深いものがあります。

アパートも、実は昨日決まったのです。
ケベック出身パリ在住のA君が「モントリオールのサン・ロランやサン・ドニを思い出すんだ」と推してくれた昨今ヒップらしい Oberkampf 地区が狙いだったのですが、モンパルナスのど真ん中に好条件の貸し部屋を見つけたので、エリア的には少々落ち着かないものの、即決しました。
私の母の世代の画家の女性のアトリエです。
彼女はこの夏、あちこち旅をして廻る予定とかで、留守中に花に水をやってくれる人が必要だったとのこと。
パリではごく質素なシェア物件でさえも1ヶ月600ユーロは下らないようで、そんな中、駅徒歩3分のこの広大なアトリエを550ユーロで貸してくれるというのだから、通りが新宿並の混雑ぶりでも文句は言いますまいよ。
モントリオールのちかちゃんが借りていたお部屋と雰囲気が似ているような。

ニースの大きさに慣れていたので、最初にパリ北駅を出た時はゴチャゴチャした煩い街だな、という印象でしたが、落ち着いてみるとやはり何かが違う。
何百年もの昔から多くの人々が惹きつけられて来た故でもありましょう。
ほんの数ヶ月の期間であっても、この街に住むことができるということは、とても幸運なことなのだろうと思います。
もう少し早くパリ入りしておけばよかったかな、なんて思ったりも・・・。
最早、秋に去るのが惜しくなっているのでした。

この一ヶ月なにやら慌しかったのですが、アパートにてネットがつながりましたらば、ぼちぼちとお話して参りましょうね。


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ニースに帰ってきました [仏蘭西]

今回は、フランス語を話せる夫に同行してもらうことができて、地獄に仏の心境。

アパートから友人宅に引き上げてもらっている荷物の整理、不要な荷物をカナダへ向けて発送、さらにこれからの旅路に邪魔になる物は先立ってパリへ発送。
尽力してくれた友人へのお礼、電話・インターネットの解約または契約形態の変更、銀行口座の状態確認、さらに・・・アパートの大家との話し合い。
これが一番恐ろしかったのでした。
なぜなら、私は外国での大家とのトラブルには少々トラウマがあるのです。
マダム大家は私のニース滞在中、とても優しく親切でしたが、お金が絡むとなれば、これはまた別問題。
さらに、約束の4月中に友人が鍵を返せなかったこと、電話ではどうやら話が半分しか通じていなかった様子などを鑑みると、次の住人を探す期間も入れて、住んでいない2か月分の家賃を上乗せ請求される恐れもあり・・・。

「敷金も払ってあるんだし、普通、家の契約は3ヶ月前に申し出ることになってるわよ。・・・逃げちゃえば?」
部屋を片付けてくれたSの言葉に心が揺らぎます。
街でマダム位の年恰好の老婦人を見る度に胃が痛くなる・・・。
ともあれSの家に行ってみると、なんとマダム大家がアパートに備え付けるために新しく買ってきたお気に入りのキャビネットが!
その他アイロン、リネン類など、私の物でないものが、数点運び出してありました。
うぅ・・・、でも仕方ないよね。
キャビネットは歩いてはとても持ち運べない重さ。
Sの彼に車を出してもらってホテルに運び込み、ついに大家と対決することに。

大家の携帯に電話を掛けると、片言の英語の大家は怒っているとも取れる受け答え。
ともあれ、明日の朝10時にモナコからニースへ出て来くるとのこと。
途中でギブアップし、フランス語のできる夫に電話を変わってもらったところ、「貴方に言うことが沢山ある」とだけ言われて切られたのです・・・。

翌日、ホテルのロビーで待っていると、アパートへの呼び出しコールが。
夫は「彼女が理解を示してくれればそれはパーフェクト、ビッチなら仕方がない。10分以上は話を聞く必要はないから、席を蹴って立ち去ればいいんだ」と励ましてくれますが・・・。
まな板の鯉の気分でアパートに向います。

さて、アパートでマダムとの再会。
「ボンジュール、久しぶりね!元気だった?」
マダムは暖かいビズで迎えてくれたのでした。
さらに、溜まっていた電気・水道代を差し引いたデポジットまで返してくれたではありませんか!!
300ユーロ!
大金です・・・。
夫が居なかったら逃げたかもしれません。
それにしても「貴方はいい娘さんね」といつも言ってくれていたマダム大家をこんな形で裏切るのは嫌だったので、勇気を出して電話してよかったなぁ。
数ヶ月間の心配事がすっかり解決した日でした。
無罪放免。
もう、思い残すことはありません。

今日、オランダに旅立ちます。
ニースで会えなかった皆さん、ごめんね。
パリか日本で会いましょうー。


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フランスの部屋の件はどうなったんだ? [仏蘭西]

渦中の部屋から見たある夕刻の風景。

と、お思いの方がいらっしゃるはず。
ニースに放置したままの私のアパート。
心配していただいている方もいらっしゃるので、経過を中間報告いたします。
前回 は心優しい友人Sの、自ら私のアパートを片付け荷物を自宅で保管してくれるとの申し出に甘えさせてもらうことにし、アパートの鍵を彼女に郵送した所までお話しましたね。

しかし・・・。
アパート賃借期限の4月の末が目前に迫っているにも関わらず、Sがアパートの鍵は受け取ったのかどうかもわからず。
日本の美味しいごはんを食べていても、温泉で露天風呂に浸かっていても、心から楽しめないほどに心配で、陰鬱な気分でメールチェックを繰り返す日々でした。
Sにはメール、電話の乱れ打ちを繰り出すも、一向に連絡が付かないのです。
鍵を託した国際郵便のネット追跡では、封書がフランス国内に着いたところから一向に更新されず。(これは最初から当てにしてなかったけどさ

ついにSと連絡がついたのは、4月最終日。
何とSのお祖母さんが亡くなってしまい、実家のあるアイルランドへ戻っていたのでした。
「過去にもう2回危篤で死にかけているのに、その度に持ち直してたのよね」との話を聞いていたことを思い出しました。
それは、連絡が付かないよね。
人生、何が起るかわからないものです。。。
そして、やはりSは信頼できるステキな人でした!
「荷造りは全て完了済みよ!今晩、運び出すから安心して!」とのありがたいお言葉に、その日はようやく美味しい晩ごはんが食べられました。

さて、その晩荷物を運び出しに行ったSらは、マダム大家から残されたメモらしきものを発見。
そこに拙い英語で書かれていたメッセージとは?
「アナタの炊飯器モラッタ。5月も引続き部屋借りたいノカ?」とのこと。
・・・炊飯器、アゲナイ。
・・・5月住まない、アタシ言った。

更に、Sらは未だにマダム大家に鍵を返せていないのです。
なぜなら、私は彼女の携帯電話以外の連絡先を一切知らないのです。
マダムの携帯電話はここに来てなぜか、いつもつながらない。
そして暦を見れば、日付はもう5月も半ば。
メッセージと共に鍵をアパートのメールボックスに入れておくようSにお願いをしました。
これが私のできる全て。
というか、もう諦め気味です。
5月分?請求されたら払うわよ。
払えばいいんでしょ?
それが最悪の事態なら、まあ、死にはしないが・・・

教訓:大家さんの住所くらいは聞いておきましょう。


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ピンチ!パックの休日。 [仏蘭西]

さて、やむをえぬ事情にて日本へ緊急帰国した私ですが、日々の雑務に感けていても、ひとつ心に巣食った心配ごとが、背後でついに無視できないほどに脹らんでおりました。
だって、来週は4月の最終週です。
そう、私が住んでいたニースのアパートがまだ片付いていないのです・・・。
4月上旬のカナダから日本へ緊急帰国に先立ち、3月末、ニースの心優しき友人Sへ宛て、私はアパートの鍵を郵送にて託したのでした。
彼女が部屋の片付け及び荷物の保管を申し出てくれたのです。

「4月分家賃の支払いは済ませてあるので余裕余裕」と安心しておりましたが、さすがフランス。
1ヶ月程度の猶予では事足りぬと言うのですね。

まず、鍵がカナダからフランスに着いたのが4月4日。
そして・・・ニースのSが自分宛の小包の不在通知を受け取ったと連絡して来たのが16日。
そう、フランス国内で既に2週間ほど経過しております。
でも、不在通知があったというだけでも奇跡ですよね、フランスの場合!
「後はSが鍵を手に入れさえすれば、アパートの件は解決だわ!」
大家さんにも電話を入れ、緊急の理由につき5月からは別の居住者を探してもらうように説得。
快く受け容れてくれました。
これで一安心、胸をなでおろす私。

・・・あれから一週間、Sとは連絡が着きません。

メール、電話、テキストメッセージの乱れ打ちにも係わらず、彼女が鍵を受け取ったかどうかも知ることはできないのです。
ついに、モナコ在住の「日本人」Aちゃんに助けを求めることに。
Aちゃん宅は遠方のため、私の荷物を自宅へ運び入れることは不可能ですが、取りあえず大家とSに連絡をつけてもらうことはできるので・・・。
そこでAちゃんに聞いた事実。
今週はフランスではパック(イースター)だったのだ・・・。
パックは日本のお盆並みに、皆さん大っぴらにお休みになるらしい。
そりゃ郵便屋も不在小包なんて放り出すだろうし、Sだって彼氏と何処かへバカンスに行ってるに違いない。
理由がわかって安心したような、この如何ともしがたい歯がゆさに更に胸が重くなったような。。。
来週の月曜日まで、じっと待ってみたいと思います。


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