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ナントでの事件 [仏蘭西]

少々気になるニュースがあったので、書き留めておきます。

フランス西部ナント中心部の路上で11日深夜、日本人留学生の女性(31)が、頭に大けがをして意識を失っているのを通行人が発見、病院に収容されたが重体という。フランス公共ラジオが伝えた。警察は12日、事件、事故両面から捜査を始めた。盗難や性的暴行を受けた跡はない。報道によると、女性の名前は「カヨ」とされ、昨年9月からナント大学で仏語を勉強していたという。

女性はこの後、意識が戻ることなく頭蓋骨陥没骨折で死亡してしまいました。
フランス地方都市で仏語を学びながら、日本食レストランで働く31歳・・・とても他人事とは思えずに、つい色々と想像を巡らせてしまいます。
私のように年齢制限ギリギリでワーホリビザが通って、嬉々としてフランスへ旅立ち、ひとりで頑張っていたのだろうか、などと考えたり。

何者かに殴られたのか、車にはねられたのか、または自ら倒れたのか・・・、警察によると死に至る傷を受けた理由や状況もまったくの謎に包まれており、死因については本日の検死にて判明するものと思われます。

想像の域を超えませんが、状況的にニースでもよく聞いた貧しい少年たちによる物取りか、バイク強盗か何かのような気がします。
下手な抵抗をしたために、殴打または突き飛ばされて重傷を負ったのではないか。
犯人は被害者が思ったよりも重篤な事態に陥ったことに怖気づいたか、騒ぎになっては困るとその場から逃走したのでは・・・。

私はナントへは行ったことがありませんが、ニースでも夜10時以降はごく一部の繁華街以外は危険な雰囲気でしたので、一人では殆ど外出したことがありませんでした。
しかし、レストランに勤務していればこの時間帯の帰宅はやむを得ないかも知れません。
ニュースで見たところ、彼女の通勤路は日中は気持ちの良さそうなロワール川沿いの散歩道ですが、夜は人通りもなく危険と言えなくもなさそうです。
特に人通りが絶えた深夜の南駅・・・、この辺りは工業地帯だというし、地図を見た限りの印象ですが治安が良さそうには思えません。

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ところで強盗の恐ろしさについてですが、全世界的に見ると凶器で脅され「金を出せ」はまだ紳士的な方なのですよ。
アフリカの強盗は何も言わずに背後から石で撲殺、または藪掃い用の(→)マシェットでいきなり斬殺、有り金を奪って逃げる手口が横行しているのだというから、助かりようがありません。
言ってくれれば、あるだけお金あげますから・・・。

知り合いがケニア旅行で、あるカップルに聞いた話です。
彼らは南アフリカから旅行に来ていた白人夫妻だったのですが、妻の女性の腕には上腕から手首付近に至る広範囲に生々しい傷跡があり、友人が尋ねてみると、彼らを欧米からの旅行者と思って襲った黒人強盗たちによる仕業だったとのこと。
しかし、襲われた瞬間とっさに彼女の口から出たのは南アフリカ公用語であるアフリカーンス語による反撃の言葉であり、それは長年の支配者の習慣による絶対服従を促す激怒のパフォーマンスだったのです。
暴漢たちはパブロフの犬のごとくに主人の激情に震え上がり、結果、撃退に至ったということです。
民族解放より十数年が経っているとは言え、彼らお互いの脳裏に数世代に渡って刻み付けられた主従の関係が、一瞬のきっかけでお互いの役割を思い出させるという、興味深い出来事。
「あれが、私たちのようなアフリカーンスを話さない普通の旅行者だったら、今頃命はなかったわ」とは、彼女談。
私たちもアフリカに行く際には、なるべくアフリカーンスを話す人とつるむようにしましょう。
あ、でも暴漢撃退には名誉白人でないと意味がないので、ご自分でお勉強なさるのは無意味ですよ。


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舶来の品 [仏蘭西]

飛行機の重量制限が心配で、せっかくのフランスからの帰還にも関わらず、土産は殆ど持たずに帰って来てしまいました。
そんな中で買った2つのささやかなものが昨今のお気に入りです。

ひとつは、FAUCHON のローズ・ティー。
バラがそのままつぼみごと入っているのです。
香りもローズそのままですのよ。
これだけで相当優雅な気分になれてしまう代物なのです。
茶碗を捧げもってはひとり悦に入っております。
かなりのお気に入り。
上海風の透明ティーポットで淹れて、粋な杯で飲めばもっと気分が出るんだけどなぁ。
お湯を注げばポットの中で小さなローズが無数に花開いて・・・と、夢想して急須の蓋を開けると、白くふやけたニンニクみたいなのがゴロゴロ出てきて、少し夢破れましたけれども。
巨大な花蕾がポット一杯に開く工芸茶はそのコンセプトと目で愛でる形態としては激しく魅かれるのですが、飲むには少々気持ちが悪いのが正直なところ。
その点、この控えめなローズは何て可憐で儚げなのかしら。

ネットで少々調べてみると、もとは中国茶であり、メイクイ茶というバラならぬハマナスのお茶であることが判明。
それならば、わざわざおフランスの超高級食材店 FAUCHON から取り寄せずとも、北米一の中華街があるこのトロントでの入手が可能なはず!
さらに、何も可憐なつぼみをポットに押し込んでニンニク状態にしなくても、カップに入れてそのままお湯を注ぐという、更に優雅な方法があることに気付きました。
普通のお茶や紅茶やシャンパンや白ワインにひと粒浮かべる演出もありですってよ!
是非っ、試してみなくては!フンッ!!(鼻息)

ちなみに FAUCHON では、こちらも花が丸ごと入ったカモミール・ティーもご満悦で購入したのですが、これが苦くて飲めないのです。香りもとても良いとは思えない・・・。
カモミール茶は大好きなのに、実は本物が飲めないのかしら、私。
ブレンドとかすればいいのかな?

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そしてふたつめは、L'OCCITANE のボディオイル。
貧乏なフランス生活でしたが、プロヴァンスの花の香り溢れる素敵なブティックを、常に指を咥えて外から眺めておりました。
カナダの冬は乾燥が酷く、寝ている間に無意識に体中を掻き毟って朝には血まみれの日々がやって来ます。
そんな私ですから、このくらいは贅沢してもいいだろうと、フランスを発つ直前に、アーモンドの香りのサプルスキンオイルを購入したのです。
何といってもこのブランド名の L'OCCITANE は「オック語(ラングドック)を話す人々」=謎とロマンに満ちたピレネーのラングドック地方、たった数ヶ月前に訪れたばかりの地そのものを指す名ではありませんか!
これは運命。
とろりとした美しい蜂蜜色のオイルは肌に伸びもよく、うっとり。
早速、その晩体中に塗りたくって就寝したところ、・・・良い。
痒くない。
新たな生傷を作らずに朝を迎えることができたと思ったところ、あろうことかRからクレームが出てしまいました。
オイルの香料が強すぎて家中が臭くて眠れない、と。
確かに、ショップの如何にもオーガニックなコンセプトからは想像し難いくらいに、香りは強いかもしれません。
芳香ですが。
眠れずに、夜中3時間ほどコンピュータに向かって仕事をしていたというのだから、無理に使うわけにもいかず。
というわけで、お蔵入りになりました・・・。
ひと瓶5,000円はしたのにな。(涙)
まあ、毎日大量に塗ったくるには多少お値段が貼りすぎるため、もう少しお買い得な自然モノを求めつつ、今日も生傷の朝を迎えました。


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風の谷のミネルヴ [仏蘭西]

翌日、存在すら知らなかった「フランスの最も美しい村」のひとつミネルヴに、観光局のお姉さんの大推薦を受け訪れてみることにしました。
「フランスの最も美しい村」は、フランスの数ある町の中でも古い面影を当時のままに残し、なおかつ人口が2000人以下の歴史的遺産価値のある町が、観光を中心とした村おこしのひとつとして協会の審議により認定されています。
その殆どは観光地されることなく、不便な立地であるがゆえに古からの素朴な佇まいを残すものが多いため、フランス滞在中に多少でも自由な時間が作れる場合には是非訪れてみる価値があります。

ミネルヴは先史時代から存在する人口106人の小さな村。
遥かな時代から蛇行する絶え間ない水流が削り出した峡谷の道を車で行くと、BrianとCesse、二つの川によって大地から隔てられた小高い台地の上にミネルヴ村は夢のように現れました。
街へは唯一、Cesse川に架かる美しい眼鏡橋からのみアクセスが可能です。

高台から村全体を眺めていると、この石橋が谷を跨いで小さな中世の村へ差し掛かる様がナウシカの住む風の谷みたいだな、と思ってしまいました。

この村にも13世紀初頭、周辺の村々から逃げ込んできた多くのカタリ派を匿い、アルビジョワ十字軍に包囲された歴史があります。
天然の濠に守られたこの村は、十字軍が放つ最新鋭投石器(通称「非常な隣人」)の放つ200kgの石も届かず、十分な食料を蓄えたミネルヴ側は優勢かに見えました。
しかし不幸なことに、村全体の喉を潤す井戸だけが城壁の外にあったのでした。
敵はそれを見逃しませんでした。
対岸に据えられた「非常な隣人」が、集落から井戸への唯一の小道を破壊します。
生活用水が尽き、渇きは耐え難いものになりました。
ついに領主は降伏し、交渉の結果カトリックは許されることに。
しかし、140人のカタリ派は信徒自らの手で盟友を火炙りの刑に処すこととなったのでした。

殉死の小道を石畳を踏みつつ高台へ向かって上ると、カタリ派を偲ぶ鳩を象った石碑が街を見下ろす小さな広場に立っていました。


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皆殺しにせよ!選別は神がなさるだろう。 [仏蘭西]

カルカッソンにおけるカタリ派の追放(1209年)

この旅での目的は、カタリ派の城と、世界遺産に登録されているサン・ジャック・ド・コンポステル街道に点在する修道院や村を訪れることでした。

カタリ派とは11世紀以降に南仏・北伊を発祥とする、物質や肉体は悪神によって生み出され、精神は善神が生み出すというマニ教的善悪二元説を教義とし、肉食、性交、物質の所有などは全て悪とみなしていた新興のキリスト教徒の一派でした。
彼らは禁欲、清貧の生活を実行し、時には自らに断食や鞭打ちなどの厳しい修行を課し、当時、権力と金にまみれて腐敗していたローマ・カトリック教会を公然と糾弾しました。
民衆はこれらカタリ派の指導部(パルフェ=完全者)のような世俗と断絶した修行は履行しなかったものの、彼らに尊敬の念を抱き、カタリ派を支持する者は民衆や貴族階級に至るまで次第に増えて行きました。
そして来るべき救済には司祭も法王も不要であるという彼らのグノーシス的な発想から、ローマ教皇の権威を認めることを拒絶し、カトリックの支配階層制自体をも根本から否定しました。

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このラングドック地方は、かつて Langue d'Oc=オック語 を話す独立した文化圏であり、民衆は教養高く、階級や民族差別もない自由な雰囲気、ヨーロッパ随一の商業の繁栄を誇る土地であったそうです。
それをカトリック教会が良く思うはずはありません・・・。
こうして、カタリ派に狙いを定めたアルビジョワ十字軍が「異端征伐」を大儀として送り込まれることとなったのでした。
十字軍はさらに彼らを擁護する貴族の抹殺をも命じられ、奪った領土や財産は全て自分達の物とすることを保証されたのです。

カルカッソンヌの領主トランカヴェル伯爵もカタリ派を擁護したために、アルビジョワ十字軍の包囲に対し15日間の篭城の末に城を追われ、住民は放逐されました。
この地では夥しい血は流れずに済んだのですが、近郊の町ベジェではカトリック教会によるカタリ派の引渡しを拒んだために、2万人の老若男女が無差別に殺戮されました。
「異端とカトリックを見分けるにはどうしたらいいのでしょう?」という兵士の質問に、十字軍総督は答えました。
「皆殺しにしろ。選別は神があの世でなさるだろう」と。

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カルカッソンヌの観光局にて「カタリ派の里を廻りたい」と申し出ると、よくできたカラー写真付の観光地図をくれ、丁寧で熱が入った説明を受けられるので、とてもお勧め。
さて、まずはペイルペルトゥーズ城という断崖絶壁に建つ廃墟の城を目指します。
カルカッソンヌから直線距離にして50km南下した所に位置するのですが、何しろ険しい山道のためヘアピンカーブの連続、360℃廻って元の位置に戻っているのでは疑うほどの曲がりくねった道程は想像以上に時間を要し、途中昼食を摂ったりなどしているうちに午後になってしまいました。

辿りついた剥き出しの高度800mの岸壁の峰に、擬態のように岩と同化しようとしているもの、しかし明らかに人の手によって造られたのがわかる巨大な建造物の禍々しい佇まいが。
ペイルペルトゥーズ城です。
さて、この城が文書に記された最初の記録は1070年。
しかし紀元前よりローマ帝国が支配していたという説があり、実際に建立されたのは一体どれほどの昔なのでしょうか。
明らかに軍事目的で建てられたものであることは、眺望と防衛を何よりも最優先にしていることからもわかりますが、私は先史時代にこれほどまでに徹底した城塞を、このような辺境に造る意図が理解できなかったのでした。
ネット上にもまともな記述は殆ど見当たらず、城から持ち帰ったパンフレットを読み込んでみてもそれらしい理由は見つけられませんでした。
そもそもここはカタリ派がローマ教皇の殲滅作戦に対し最期まで抵抗して十字軍と闘った城のひとつとして有名だったために、当初はカタリ派篭城のために建てられたのだと思い込んでいましたが、城そのものは遥か昔から存在していたのです。

現代では果てしなく牧歌的に見えるこの地方も、過去には如何に血生臭い歴史を切り抜けて来たのかと思いを馳せてしまいます。
十字軍の横行のみならず、伝統的に付近の実力者や流しのならず者が常に権力を奪い乱暴狼藉を働こうと虎視眈々と攻撃の隙を狙っているお土地柄。
領主としては用心に用心を重ねずには夜も眠れないことでしょう。
まるでサバンナに生きる野生動物の群です。
現状の田舎町の佇まいからは信じがたいのですが、そうでなくてはフランスの田舎に見られる多くの完全防御の鷲巣村や、これらの城が執拗なまでの防衛策を講じた理由が説明できません。
昔は住みにくい世の中だったのでしょうね。
今やキレイに舗装された山道を車で訪れるのでさえもこれほど難儀なのに、こんな山奥の切り立った辺境へ建材を運び、危険な足場に強大な城塞を築いた執念はどれほどのものだったのでしょう。

車を駐車場に停め、城が聳え立つ巨大な岩山の麓でチケットを買い、ここからは30分間、ひたすら徒歩で山登りです。
もの凄く、危ないです。
磨り減った石積階段の足元は滑りやすく、遮る物がないために凄まじい暴風が吹きさらし、手すりは崩れ落ちて足下の垂直な崖から身を隔てるのはロープ1本だけという箇所も多々。
高所恐怖症の方にはお勧めしません。
しかし、登った先には信じられないほどの眺望が開け、恐怖の山登りは確実に報われます。
果てしない高度からもこもこした緑に覆われたなだらかな山々、遥かな遠方まで至る土地の起伏を視野を遮る物なく眺めていると、どこかで似たような眩暈を覚えたことに思い至りました。
足がすくむ程の巨大な珊瑚礁、足下に開けるダイナミックな地形の変化、マクロの営みが織りなすとてつもない別世界・・・。
海中世界です。
水中では物体は実物の1.3倍に見えるということなので、実際よりも1.3倍迫力増しなのでしょうが、この山々は更にその何倍もスケールが大きいのです。
しかし、考えるほどにこのような場所で一体どんな生活が可能だったというのか・・・、謎は深まるばかり。

さて、次はペイルペルトゥーズの頂上からも姿を望める、お隣の山の頂に座すケリビュス城へ。
調べた限りでは標高はペイルペルトゥーズよりも低いようなのですが、展望としてはこちらが断然高所である印象を受けます。
壮大な山々の峰から差す陽光が大地に落とす雲の影。
もう神々しいまでです。
こちらも文書にて初めて存在が記されたのが1020年、標高728mに残存するカタリ派の文字通りの最期の砦と言われています。
ここまで執拗に追い掛けて来て確実に掃討しようというのだから、十字軍の執念にも恐れ入るものがあります。
50年間で100万人に達する犠牲者を出したというアルビジョワ十字軍の進軍は、14世紀初頭に最後の完全者を処刑した後、その幕を下ろしました。
もちろん各地へ散り地下へ潜入した信徒達はその後片っ端から集められ、拷問を受け、火にかけられることになるのです。

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カルカッソンヌの旧市街で一軒の小さな博物館に入りました。
その名も、「拷問と虐待の道具博物館」。
ここでは実際に使用されたフランス革命期までのヨーロッパ全域から集められた、拷問用具を展示してあります。
これらは魔女狩りや、カタリ派等の異端審問の他にも、通常の裁判、理不尽な断罪の懲罰などに実際に使用された物だそうです。

ほんの200年ほど前まで拷問はごく普通の制裁行為であり、人々が自然に抱く関心事、または日常的な趣味として広く受け入れられていたのです。
ローマ帝国では罪人の告白は拷問によって為されたもののみが有効とされ、中世ヨーロッパではある程度経済力のある者は自宅にマイ拷問室を設け、道端で無辜の貧乏人を誘拐して来ては新しい拷問用具を試し、効果を研究して楽しむのが粋な遊びだったとか。

有名な鉄の処女、ギロチン、悪魔と関係を持った女や同性愛者、不貞者を懲らしめる性器拡張破壊器など、冗談と思うより気持ちの整理が付けられない展示物が、幾人の血を吸って来たのか赤く錆びたまま並べられていました。


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吸ったら死ぬ [仏蘭西]

来年から公共の場では禁煙=レストランは08年から-フランス
【パリ8日】フランスで、公共の場での喫煙が来年2月1日から全面的に禁止される。カフェやバール(酒場)、レストランでの禁煙は11カ月遅れの2008年1月1日からの実施となる。
 ドビルパン首相が8日、RTLラジオで明らかにした。同首相は、伝統的に喫煙客を受け入れてきたバールやレストラン、ディスコなどには11カ月の猶予を認め、禁煙の実施を08年1月からとすると述べた。同首相は、これら施設での喫煙は、従業員が立ち入らない密閉された喫煙室などを設置した場合に限られると語った。
 欧州でも、喫煙や受動喫煙の危険性に対する国民の意識が変わりつつあり、アイルランド、イタリア、スコットランドなどで同様の措置が導入されている。
 ドビルパン首相は、フランスでも受動喫煙が原因で毎年約5000人が命を落としているとして、「これはまったく受容できない状況だ」と述べた。
 禁煙措置はまず、学校、企業、店舗などから実施される。違反した個人には75ユーロ(約11000円)、施設の管理者には150ユーロの罰金が科せられる。

なんと・・・あのフランスが全面禁煙化??
突然の印象を受ける告知に、かなり驚きました。
確かに、フランスの喫煙率には先進国でありながら凄いものがあります。
カフェに行けば子連れであろうと、妊婦であろうと、優雅なマダムも食後の一服とばかり口を歪めてスパ~とやっていますものね。
日本ではレストランで隣の席の男がタバコの煙をこちらへ吹かすと、親の仇のように口から火を噴いて睨み付ける私ですが、フランスではさすがに郷に入れば・・・というか、目くじらを立てているとスターバックスくらいしか行き場がないのですよ。

写真(↑)はマルボロのパッケージを掲げるJ.L君。
以前、フランスのタバコのパッケージを見て、「へぇ、このフランスでもこんな注意書きを実施しているんだ」と驚いたことを思い出しました。
「FUMER TUE」=「吸ったら死ぬ」とは、友人C氏のナイス和訳。

ところでパッケージのえげつなさについては、カナダのタバコに適う物はありません。
表面の50%を占めるグロテスクな写真と、喫煙の害を訴える鮮烈なコピーがあなたの良心をぐりぐりと抉ります。
「毎年タバコによって小都市の人口に匹敵する人数が死亡する」
「タバコでインポテンツになる可能性がある」
「タバコは心臓破りだ」(腐った心臓の写真と共に)
「タバコは卒中の原因になる」(腐った脳の写真と共に)
「僕たちに毒を盛らないで!」(可愛い子供たちの写真と共に)
「タバコは赤ん坊に害を与える」(あどけない赤ちゃんの写真と共に)
↓下記リンクをぜひ参照してみてください。
http://www.anti-smoke-jp.com/canadapkg.htm
さらにタバコ1箱が8~10ドルもするため、ヘビースモーカーには経済的にも負担は大きく、持ち家でもない限り自宅で吸うのも禁止、外に出ても公共の場は全て禁煙と、向かうところ八方塞のカナダ愛煙家事情。

オンタリオ州では、2004年6月から公共の場すべてにおいて全面禁煙法が実施されて以降、現在では街中どこでも爽やかな空気が吸えるわけです。
更に愛煙家の唯一の砦であった夏期オープンカフェでの喫煙さえも、今年から全面禁止となり、政府が最後の生き残りの愛煙家の息の根さえも止めようとしているのがわかります。
大成功を収めているかにみえるオンタリオ州の禁煙法ですが、実は全面施行1年前の冬に一旦施行を開始して、大失敗に終わっていたのだそうです。
なぜなら・・・やはり最初は愛煙家のみならずとも、バーやカフェの経営者が客足が遠のくことを心配して抵抗した上、ここは酷寒のカナダ。
-20℃の寒空の下、突然外で吸えと言われても、ハイそうですかとは行かなかったのですね。
しかしこの禁煙法は翌夏再施行され、大成功を収めたのでした。
日光大好き、夏が大好きな欧米人は、春が来ると同時にこぞって太陽の下に集いたがります。
暗い店内が禁煙でも関係ないサ!!眩しい太陽の下で酒を飲もうぜ!!タバコも吸っちゃおうぜ!!
カフェやバーのパティオで夏を満喫したカナダ人愛煙家は、迫り来る秋の気配に押されて次々に店仕舞いしたパティオの横で、寒風に震えながらキリギリスのように立ち尽くしたのでした・・・。
夏の間に禁煙が確立した店内では、清浄な空気にすっかり慣れた嫌煙家達が、アハハ・・・オホホホ・・・と楽しそうに笑い興じていましたとさ。
今回フランスが発表した二段階禁煙政策は、どちらも冬に開始するようなのですが、カナダと同じ轍を踏むことにならなければいいのですが。

私のパリ滞在は夏だったため、もともと冷房が整備されていないお国柄、窓や扉は全開で風通しが良く、カフェでもパティオなどオープンスペースに座ればそれほど紫煙が気にならなかったこともあります。
全般的にフランス人は、したいことをしたいようにできる自由が比較的認められている感じで、日々のストレスや禁煙プレッシャーに脅かされて逆に次から次へとタバコに火を灯してしまう日本のオジサンのように、チェーンスモーカー化する傾向が少ないのか、ひっきりなしに吸い続けている人はあまり見かけませんでした。

そしてフランスの古い映画、音楽、絵画、小説、写真・・・。
文化の一部となってしまっている感がある、フランスのカフェとタバコ。
それがこうも唐突に全面禁煙とは俄かに信じがたいものがあります。

更にフランスでは、規制枠に対する幅の解釈が非常に寛容な気がします。
-ダメなことでも、よっぽどダメでなければ、まあいいか。
-今日は気分がいいから、普段はダメでもいいことにしてあげよう。
注意したり断る時も、北米のように頭から押さえつけるように言い放つのではなく、あくまでも個人的にお願いしてスマートになるべく感じ良くやめてもらう、という対応が多いです。

一昔前には高校の給食にワインが出たとも聞くフランスですが、現在では未成年(16歳未満)の飲酒は一応規制されているため、警察官の目の前で違反をした場合、注意くらいはされるようです。
けれども摘発や罰を受けることは殆どないのだとか。
一説によれば親が一緒なら社会の嗜みのひとつとして、14歳くらいの子には普通に酒を飲ませてもOKなのだそうです。

現状では「禁煙」の看板が大きく出た施設内でも、平気な顔をしてタバコに火を付ける輩が多々おりますが、それをいちいち目くじらを立てて取り締まるような下地がないような雰囲気なのです。
表向きには禁止していても、従業員である自分達も吸いたいし、いちいち注意してたら仕事も増えるし、たまにはいいじゃん可愛そうだもんね、それより今夜のデートには何着て行こうかな・・・、こんな状態に落ち着きそうな気が。。。

それでも受動喫煙が原因で毎年約5,000人が死亡しているとは忌々しき事態。
非喫煙者のカフェ店員などの健康を考えると、唐突に見えるこの決定も時代の流れの中では必至かつ最善の強硬手段なのかもしれません。
パリでは5年前に比べて根絶不可能だろうと言われていた犬のフンが激減していたので、フランス人も案外やればできるのかも。。。

それにしても全面禁煙制度化、日本があのフランスに遅れを取るとはね。


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中世紀行はカルカッソンヌから [仏蘭西]

切り立った崖の上に建つ廃墟の城砦、連なる山々の谷間に忽然と現れる中世の鷲巣村、凄まじい峡谷の側面に張り付いた僧院・・・。
想像するだけでワクワクして来ます。
3cm四方ほどのそんな写真をガイドブックに見つけ、情報は少ないながらもこのミディ・ピレネー、ラングドック地方を1週間を割いて訪れてみることにしました。
通常のフランス観光コースからは少し外れた、マニアックな地域と言えます。
トゥールーズに降り立ったのは、そこに目的地に一番近い飛行場があったから。
本来の拠点はここから80km先のカルカッソンヌです。

夕方6時頃にレンタカーで空港を後にした時には大雨暴風警報発令中、目指す方向の高速道路に乗るまでわかりにくいフランスの道をグルグルとさ迷い続けたため、結局その晩はカルカッソンヌには辿りつけず、途中の Castelnaudary という小さな街で一夜を明かすことになりました。
この地方の名物料理「Castlet(カスレ)」の発祥の地ということで、街一番のレストランと言った風情の一軒でゆっくり食事をすることに。
このカスレ、今回の旅行中でお釣りが来るほど食しましたが、正にこの料理が語源のキャセロールで白インゲン、鴨のコンフィ(脂漬け)、フォアグラ、ソーセージなどをスパイスを利かせてごった煮にし、オーブンで焼いたもの。
この地方ではとにもかくにも鴨料理なのですが、すべてが鴨の部位をできるだけ長期間保存の効く方法で加工した伝統家庭料理です。
その昔、百年戦争中にこの Castelnaudary がイギリス軍に包囲された際、住民は最後の保存食をまとめて煮込んだこのカスレを味方の戦士に食べさせ、ついに敵を撃退したのだそうです。

さて、翌日カルカッソンヌに着いた折には嬉しいほどの快晴。
オード川に架かる橋を渡り旧市街へ向かう途中、突然展望が開けヨーロッパ最大と言われる城塞の全貌が小高い丘の上に姿を現し、ぎょっとさせられます。
現在の城塞は一旦廃墟になっていたものを、19世紀に忠実に再現されたものであるということですが、その黒光りする灰色の巨大な城壁、圧倒的な存在感に思わず息を呑みました。
(写真は夕陽に照らされる城塞)

指輪物語的な中世ファンタジーにはまったく食指が動かずにいた私ですが・・・、この度各地で「本物」を目の当たりにしたところ、態度を180度改変することに致します。
これらは何もマンガやファンタジー小説専売特許の創造物ではなく、実際に存在する世界だったのですね。
余りに現実と掛け離れた怪物退治などは措いておいても、中世の戦や世界を忠実に表現したファンタジーならむしろむさぼり読みたいかも。
欧米の少年たちは皆、剣や大砲に憧れ騎士物語に夢中になるようで、中世の城の内部には、普段は観光客が溢れる場所には興味を示しそうもない年頃の男の子たちが、目を輝かせて武器や甲冑の写真を撮っているのが微笑ましいです。

このカルカッソンヌ、ジャン・レノのコメディ映画「おかしなおかしな訪問者(Les Visiteurs)」のロケ地にも使われたということで、後日その作品を観てみました。
12世紀から現代にタイムスリップしてしまった中世の領主ジャン・レノが、自分の子孫に当たる女性と出会ってドタバタ喜劇を繰り広げるというストーリー。
非常にバカバカしいお話なのですが、ラングドックの山間の絶景や本物のお城、手を抜かずお金もかけた中世の服装やセット、繰り広げられる美しい映像がどうしてなかなか見ごたえがあるのです。
ジャン・レノの真面目な顔と絶妙のヘンな間も何とも言えずおかしく、結構楽しめました。
城主の子孫は今や城を手放し、現代では家来であった男の子孫が所有者となってホテル経営をしているのも、またフランスの現実といった感じで笑えます。
実際、中世からの城や邸宅を現在まで保持している領主は少なく、国からの文化財指定により補助金が出る場合にはともかくも、そうでなくては昔のように農奴から徴税できるわけでもなく、莫大な維持費を捻出するために観光客に一般公開して入場料を取ったり、ホテルやレストランに改装して何とか生き永らえている城主も多いのだとか。
しかし、あのものすごい早口でまくしたてる会話・・・ほとんどフランス語に聞こえない・・・。
フランス人には問題なく理解できるのでしょうか?

Les Visiteurs

Les Visiteurs

  • 出版社/メーカー:
  • メディア: DVD


ビジター

ビジター

  • 出版社/メーカー: ビデオメーカー
  • 発売日: 2000/08/04
  • メディア: DVD


 ↑これは続編だそうです。


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巴里の公共交通機関は、灰色。 [仏蘭西]

今回のフランス最後の締めくくりは、ミディ・ピレネーおよびラングドック地方に点在する辺境村の周遊に決まっていました。
それって何処?とお思いでしょう。
この辺りで最大の都市トゥールーズを起点として廻る、と申し上げれば如何でしょうか。
あ、聞いたことありますよね、でもトゥールーズって何処にあるんだ?そうですよね、私もそうでした。
この地方は、スペインと国境を接した南フランス内陸部一帯を指します。

TGVではパリから目的地まで7~8時間もかかってしまう上、なぜか旅費は飛行機よりも高い。
ということで、今回初めて EASYJET に乗ってみました。
早めに予約すればなんと片道20ユーロ以下で海外にも行けてしまうが、全自由席というとってもお手軽な空飛ぶバス感覚の小型飛行機です。
日程が迫っていたために国内線ながら片道80ユーロと少々高かったものの、6時間節約の利は大きく、パリに近く小さなオルリー空港発着であったためにすべてが極めて順調に運び、大満足でした。
パリからの近距離旅行は、可能な限りオルリー発着にすることをお勧めしますよ。
便利な時間帯の便もこちらに集中しているみたいだし。
市内から30分ほどで行けるので交通費も安い上、何といっても世界屈指の観光都市かつ芸術と文化の中心パリの国際空港シャルル・ド・ゴールは、複雑で難易度が高く、ショックを受けるほど機能性、利便性、受容性、外観、全てにおいてひどく時代遅れの代物なので・・・。

世界各国旅行をして様々な空港を目にして来ましたが、パリ国際空港は人々の期待値における、否、その存在単独でも十分に失望させてくれる空港ナンバーワンです。
コンクリート製の巨大蜂の巣のような無粋な見た目。
70年代建造時のままの狭い廊下やわかりにくい表示、今日の発着便および旅行者の増加や多様化に対応しきれておらず、トイレの数も全然足りません。
場当たり的に増築したような印象を与える小規模のターミナルが点在し、各ターミナル間の連絡も不案内かつ不便です。
フランス語が満足に話せない年配の旅行者などは、一旦ターミナルを間違えると途方に暮れてしまうのでは。
一旦チェックインゲートをくぐっても、搭乗機まで遥々とバスで運ばれて結局別のターミナルまで行くこともあるため、CDG利用の場合はうんと時間に余裕を持って行く方が良いようです。
空港直結バス以外のアクセス手段であるRER(郊外高速鉄道)は、複雑すぎて私には乗りこなせませんでした。(乗る必要がなかったのだけれど)
空港線は旅行者を狙った荒っぽい強盗が出ることが知られており、危険でもあります。
買い物天国を楽しみにしていた免税店も想像に反してまったく充実しておらず、値段はほぼ市価と変わりません。空港テナントが免税の特権を笠に着て、小売利益をがっぽり上乗せしているんじゃないかと疑ってしまいます。
数時間を空港内で過ごさなければならない旅行客を座らせる椅子の数も充分ではなく、セキュリティの先には哀し気な大学カフェテリア風の食堂がひとつ、長蛇の列に付いて買えるのは、7ユーロもするサンドイッチとコーラのセットでした。

と、空港ばかりをこっぴどくこき下ろしましたが、大抵においてフランスの公共交通機関はなんだか前近代的な貧しさが漂っているものが多いです。
誇らしげに開通100周年を宣伝しているパリ・メトロは、100年前から殆ど進化してないんじゃないの?と思わせる不振ぶり。
落書きだらけの車両は不安になるほど激しく揺れ、接触不良なのか車内の電灯が瞬間的に消えることが良くあります。
陰気で汚く、オシッコ臭い駅構内には身障者用のエレベーターひとつなく、2003年の熱波ではフランス国内で高齢者を中心に1万5000人の死者が出たというのに、未だに車内には冷房が整備されていません。
今年も8月には40℃を超す猛暑の日が続き、私も件の閉所恐怖症の発作から立ち直っていなかった時期であったため、乗車中に具合が悪くなり何度か途中下車をすることがありました。

さらにTGVなどが発着するフランス国鉄の駅はどうかと言いますと、前述のふたつよりは幾分マシですが、やはり手放しで賞賛するには全く値しません。
まず、これもやはり待合用の椅子が圧倒的に少ないのです。
そして列車がホームに入線するその瞬間まで、乗客は自分が行くべきホームが何番線であるのかを知らされません。
従って、ホーム中央の巨大掲示板が入線ホームを指定するまで、数十人の乗客が皆ひとところに立ち、または鳩が歩き廻る地べたに座り込み、一様にボードを見上げてじっと待っているのです。
列車は数十車両が連結され途方もなく長いこともざらで、ホームへのアクセスが先頭からのみである場合には(殆どそう)、列車の発車時間までにスーツケースを必死に引きずって列車後部まで激走しなければなりません。
発車寸前にようやくホームが指定された後に、おもむろに入り口で警察官がID検査を始めることもあり、そうなると正に"embouteillage"(渋滞:ボトルネックに詰まって飽和状態)となり、発車5分前、目指す車両は100メートル先、でもホームの入り口はものすごい混雑で中に入れない~!!という状況になります。

・・・・

ミディ・ピレネーの旅行記を書こうと思ったところ、思わずフランスの交通機関の批判になってしまいましたので、今日はここでやめておきましょう。
次回は、城塞都市カルカッソンヌから始めますね。


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さらば、フランス。 [仏蘭西]

久しぶりの更新です。
夢の欧州生活も昨日で終わりを告げました。
昨夜、トロントのアパートに戻ってきたところです。
パリ生活の最後は海外からの訪問者が次々とあり、さらに友人達とお別れの杯を交わしたりなどしており、しばらくPCからは遠ざかっておりました。
最後の1週間はカナダから迎えに来たRと共に、ミディ・ピレネー地方にある険しい山の頂やら断崖絶壁の中腹に立つ要塞街や中世のお城、廃墟の砦などを廻っていました。
こういうの大好きなので、ぞくぞくしましたー。
それについては、後日またゆっくりと。

Rはせっかくパリまで私を回収しに来たというのに、旅行中に降って湧いたLAへの出張のために到着の翌朝5時起きで空港へトンボ帰り。
3日間は戻って来ないそうで・・・。
こんなことなら乗り継ぎで降りたモントリオールでひとり遊んで帰ろうかな、とも思ったものの、長旅の疲れとフランスから持ち帰ったもはや旅行ではなく生活のための私物が合計60kgほどあったために、やはり断念。
荷物と言えば・・・エア・カナダいいですよ!
ドケチのK○Mとは違い、一人23kgの荷物2つまで+キャビン持込手荷物が普通に認められています。
重量制限を懸念してかなり物を捨てて来たのですが、これなら全部持って来ても平気でした。

カナダではフランスより物事が格段にスムーズに運んでいます。
行列の長さも半分だし、空港や地下鉄などの公共施設もオシッコ臭くないし、建物も近代的でキレイ。(それでも日本比75%)
しかし、何よりトロントだな、と思ったのは、空港から乗ったリムジンの運転手がターバンを巻いたシークのオジさんだったことです。
しかし、カフェでワインが飲めないことが不満。
コーヒーが美味しくないのにも慣れるのに少し時間がかかります。
何だか英語もまだ思ったように出て来ないし。
ヨーロッパでなんて、ましてやフランスでなんて一生住むのはムリ!なんて思っていましたが、慣れるものですね。。。
ニースではいちいち記事にしていたような日常の細々としたトラブルも、普通に受け入れてしまっている自分に気づいてちょっと驚きます。(隣のRの激しいイラツキぶりを見て気づく)
フランスに、住んでもいいなぁ、なんてね。
というか、本当は戻りたくて仕方がないです。
人間味があるのよね、街に。
人にしてみると、B型の憎めない人って感じでしょうか。
気紛れでワガママで、片付けとか交通費清算とか超苦手なんだけど、芸術的センスは抜群で仕事の完成度には定評がある。が、期日は守れない、しかし愛想はいいので憎めない、みたいな。
男としてはあまり付き合いたいタイプではないけどね。
それとも住めば都で、共に暮らせばそんな性分にもそのうち慣れるのでしょうか。

などと言いつつも、ようやく夫と暮らし始めることになったのはいいのですが。
今は仮住まいのアパートであることは重々承知です。
もともと2人の独身男性が住む家に、私とルームメイトの彼女がそれぞれの私物と共に住み着いているので、家の内部は荒れに荒れまくった上、足の踏み場が無いほどのダンボールの山。渦巻く埃の屋敷。(涙)
さらに今日は、部屋でゲジゲジ(!)、地下ではなんとネズミ(!!!)を目撃しました。
そして、なぜにもう少しで結婚一周年を迎えようとしている男の部屋がこんなにしっとりと独身男性臭いんでしょう・・・。
私が悪いんです。
部屋の中の布類を手当たり次第に洗濯機に放り込みつつ、一日も早く新しいアパートを見つけて引越したいと、心から願っております。
せめてモントリオールに住めたらいいのになっ。
Rを説得中ではあります。


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ガイドな日々 [仏蘭西]

ロワールの古城

ご無沙汰してしまいました。
2週間強ほど滞在していた母と妹をパリや近郊などに案内していまして、更新が滞ってしまいました。
長らく書かないと、なかなか筆が進まないものですね。
筆というか、キーボードですが。
本日は私の誕生日なので、アルザス土産のクレマン(スパークリングワイン)を開けて、よっぱらいながら更新してみます。

城マニアの二人に付き合ってロアール地方の古城巡りと(ダメ押しで古城に泊まってきた)、仕事の都合により妹が帰国してからは、パリの天気の悪さに辟易し母とアルザス地方へと言ってまいりました。
なぜか、イル・ド・フランスの日帰り旅行を含め、パリがぐずついた天気でも、いつでも地方へ出ると胸の空くような晴天続きなのです。
パリは何だか常に天気が悪い・・・。
盆地のせい?大気汚染が原因?
まあ、パリでもここ数日はぐっと秋らしさも深まって、ようやく天気も回復したようです。

日本人の好きなフランスでの観光コースのパターンとしては、まずは何をおいてもパリ、そして近郊のヴェルサイユ、ノルマンディのモン・サン・ミッシェル、そしてロワール古城巡り、次の段階として南仏・・・。
見事にそのパターンを踏襲している私ですが、その後に至り新たにお勧めの場所を見つけました。
ストラスブールを中心としたアルザス地方堪能コースです。
ここはパリからTGVで4時間強。
南仏へ行く時間のないアナタにもオススメですことよ。
ドイツ文化の影響が濃い地方で、観光都市の割には人々がスレていない。
また、白ワイン好きの私としては、安くて旨いアルザスワインは特筆に価するわけなのです。
ドイツワインは甘すぎて具合が悪くなる、が、アルザスのワインは甘口のトケイワインから辛口のものまで幅広く出回っており、ボトル4~15ユーロでそこそこのレベルの非常に香り高いワインが手に入るのです。

ワイン街道、リクヴィルの街

この地方は歴史的に独仏の間で幾度も揺れ動いており、このため今では欧州議会がこの地に置かれています。
近郊の小都市コルマール、さらに毎週土曜日、夏季には火曜日にも行われる「ワイン街道」と呼ばれる村々を廻るツアーはとてもオススメ。
特に、チェコで見られるような精巧なカラクリ時計が設置された赤い天使のストラスブール大聖堂、黄色い石積みのコルマールのカテドラル、そしてイル川の遊覧が素晴らしかったです。

アルザス名物料理シュークルート(もちろん完食)

3泊もすれば充分に堪能できます。
ビールは飲まないのですが、ドイツ産ソーセージが大好きな私としては、まだまだソーセージは食べ飽きておりません。
パリでも美味しいソーセージを探そうかというくらい。
しかし、こればかりは本場ドイツにはちょっと敵わないかも。

さて、パリに戻りましたが・・・。
この1ヶ月で友人がふたり、メトロ内で携帯電話をスラレております。
パリ在住の皆様はくれぐれもお気をつけなさいますよう。。。


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稲妻を見つつ、エッフェル塔。墓参り。 [仏蘭西]

やはりパリに来たからには、おのぼりさんと言われようともエッフェルに登らなければならないものなのです。
エッフェル塔のたもとに着いたのが20時過ぎ。
延々と続く観光客の列に続き、エレベーターの入口に辿り着いたのが1時間後。

この日は午前中、摂氏40度を超える中を無理して歩き回ったため、午後には軽く熱射病の症状が出ていました・・・。

モンパルナス墓地に散歩に行ったついでに、S・ゲンスブールのお墓にお参りしてみたのです。
以前ジェーン・バーキンが渋谷でのコンサートにて、来日前にお参りしたセルジュのお墓に「オサケト、タバコガ、ソネエテアリマスタ」とたどたどしい日本語で教えてくれた通り、煙草や彼の似顔絵が数多くのファンからのメッセージと共にお墓を賑やかに飾り立てておりました。
"TU NOUS MANQUES!!" 君が居なくて、寂しいよ!!
迂闊にも涙が・・・。
夥しい数の遺骸を埋めたこの土地で、それぞれの周りに嘆く人々がその十倍。
死んで行く者はもとより、遺された者達の断腸の別れの嘆き声が、ひっそりとした墓々の間から陽炎のように無数に立ち昇ってくるような気がしました。

しかし・・・私の頭痛は夕方には復活しましたが、カンカン照りの陽が出ているうちにエッフェル塔の列に並んだ人は、半分は病院行きだったのでは!?
スイスはツェルマットにて、680mほどの標高差をトンネルにより強引に3分で昇ってしまうという恐ろしい地下ケーブルカーの経験者としては、こんなに窮屈で息苦しいエッフェル塔のエレベーターだって、もう平気だもん。(そういえば、敢えてチェックはしていなかったが、スイスでは例のS社製エレベーターだらけだったらしい・・・)

エッフェル塔地上3階までは、産業革命時のカラクリ然とした車輪が廻る水圧式のエレベーターで。その後の最高階までは階段で昇ります。
と、3階の115メートル地点にてエレベーターを降りた途端、フレアースカートがじょうご型に裏返るほどの強風!
パリの夜景に暗澹とかかる不吉な雨雲、そして容赦なく降りかかる雷鳴の轟き。
10歳以下の子供を抱えた両親達は、本気で非常事態の顔付きになっており、高所や雷が苦手な様子の人々も顔色を失くして柵へ張り付いて、呑気な観光客の団体は阿鼻叫喚の様相へと一変。
確かに、体重の軽い子供なら吹き飛んでしまってもおかしくないほどの風速です。
ふと、坂口安吾の「白痴」の一節、空襲の際においての露骨な不安や死への苦悶を表わす者への嫌悪を描いたくだりを思い出し。。。
私、閉所は大嫌いだけど、こんなオープンエアーなら全然平気です!!イェーイッ!!
さらに、大粒の雨が叩きつけるように降って来る頃には、危険との判断で最上階274メートルへの階段は封鎖されてしまいました。

この展開では、最上階までの切符を購入した多くの者が窓口に返金を求めて詰め掛けることは必至。
しかし、それを予想せずか否か、スタッフの対応はやはりケース・バイ・ケース。
ここはフランス。
合理化なんて、気が向いた時の上司に押し付けられない限り、あまり考えたくないの。
しかし思ったより簡単に差額を返金してもらえたので、ラッキーでした。

それにしても、服を着たままでこんなにびしょ濡れになったのはいつ以来だろう・・・。


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